オニバス2001年夏 鳴門


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オニバス Euryale ferox Salisb
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 オニバスは直径が30cm〜2mと大きな葉を水面に浮かばせるスイレン科の1年草。日本に自生する1年草としてはもっとも巨大。新潟県から南の浅い池・沼・流れのない泥底の用水などに分布します。
 花(解放花)は可憐なピンク色〜赤紫色で7月末から10月に咲きます。この可憐な花はダミーに近く、種子が熟さないことが多いし種子の数も少ない。本命の花(閉鎖花)は小さいつぼみのうちに水中で自家受粉をすませて結実しています。こっそりと。閉鎖花は水上に出ないことが多い。

 成熟した種子は厚さ1mm程度の透明な寒天状の膜に包まれています。1〜3日間水面に浮いたのち底に沈み、発芽に備えます。発芽の待機時間は最大60年という話もありますが、数年は大丈夫のようです。オニバスが絶滅したとされる沼に、ある年いきなりオニバスが復活することもあります。
 

 オニバスのなかまは第三紀鮮新世にヨーロッパ・アジアに広く分布していたようです。日本でも明石市で第三紀のオニバスのなかまの化石が発見されており、アカシオニバスと命名されました。

 第三紀のあとの第四紀(現在も)には氷河期が何度かありました。第三紀の植物の多くがこの氷河期の影響を受け消滅したり分布を変えたりしています。オニバスのなかまで現在残っているのは世界中でこのオニバスだけとなりました。

 絶滅危惧種に指定されたりでオニバスの未来も大変でしょうが、過去も氷河期を生き抜いてきた歴史を持つ種です。なんとか次の世代にも生き残って欲しいものですね。まあ日本で絶滅しても東南アジアやインドまで分布するから・・・ローカルな遺伝子は消滅ですけどね。

 古代の日本、あの清少納言の「枕草子」に”みづふふき”という名前で登場しているオニバスです。清少納言の父清原元輔の領地だった鳴門にオニバス群落があるのは、なにかの因縁でしょうか。
 ちなみに清少納言嬢と鳴門住民の非常に悪い言い伝えが鳴門に残っています。書くと鳴門のハジですので。。。。。ヤダヤダ鳴門ってこんなとこだったのか。。。。単なる言い伝えですってば。けど「清少納言の墓」として知られる尼塚は鳴門にあるんですけどね。
 なお清少納言の父清原元輔は後撰和歌集の編集員・三十六歌仙のひとりですが、周防守・肥後守を努めてますが阿波守は無いので、鳴門はおまけの領地でしょうか。清少納言の再婚相手は摂津守だったから鳴門に近い・・・んっ脱線。

 江戸時代の黒田藩の朱子学儒者・本草学者貝原益軒の大和本草巻之八草之四水草類には「ミヅブキ」 「オニハス」として記載されています。清少納言のみづふふきでなくミヅブキになっています。昔マスコミのないころの植物名は各地方さまざまだったようです。分布北限の新潟では「どんばす・どばす」と呼ぶそうです。ほかに「はりばす」、「うきばす」などさまざま。

 以下貝原益軒の大和本草本文から抜粋・・・
葉は蓮に似て大にして葉水上に浮かび皺ありはりあり實は茎上にあり苞の形鶏(鶏・・私的判読雉かも)の如し故に鶏頭實と云苞ありてツノあり其内に實数十顆ありまるし實の内白くして抹すれば米粉の如く味も亦甘美なり薬とし食とす毒なく性よし凶飢を助く池塘に多く 浮くべし?茎の内に穴ありし(糸糸)あり(篩状の隔壁か?)わかき時皮を去て食ふへし根は煮て食う芋の如し

 花茎先端の苞を上向きのくちばしに子房の部分は鶏の頭部、でしょうか。
 種子は粉にして食べるらしい。キビみたいにだんごにするのかな。うまいというので食べてみたいですね。わかい葉の茎の皮をむいて食する、根は煮る、とあります。飢饉を救うともあります。種子は漢方では「ケンジツ」「鶏頭實」と呼ばれ止寫、強壮の薬とされているようです。
 花は可憐な色合いなのですが、全体のすがたかたちは万人に愛されるアイドル植物にはほど遠い。大きすぎる葉は棘だらけだし、葉柄花茎の配列はヒドラかメデューサの頭を思わせ不気味さがただよう。

 鳴門に普通に見られるハスはオニバスに近いなかまですがぜんぜん別の種類です。
 ハスの葉は水面から高く突き出て(立葉して)います(抽水植物といいます)。食用に栽培された園芸品種のようです。食用ハスと呼ばれています。花は上品・葉もつやつや・地下茎(蓮根)はうまいとハスはアイドルになれますかなあ。黄色いハスもあると聞いています。

 わたしはワイルドなオニバスがお気に入りでござんすがね。
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