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プレイバック 制作ディレクター回想記
音楽「山口百恵」全軌跡
− 特 設 ペ ー ジ −
 
 

「スター誕生!」からデビューし、
国民的大スターへと成長した山口百恵の全ドキュメント。
その軌跡を制作ディレクターが書き綴った。
数々の名曲が生まれた背景、歌手としての成長を、
シングル&アルバム制作の現場から紹介する。



著者:川瀬泰雄
発行所:株式会社 学研教育出版
定価:2,415円(税込み)
2011年2月15日発売
単行本(ハードカバー) 375頁



◆シングルA・B面、アルバム曲を発売順に全楽曲解説。
  楽曲依頼にまつわる秘話や、レコーディング・エピソード等の全ドキュメント!

◆引退後に発表された「あなたへの子守唄」や「東京の空の下 あなたは」、
  ニューアレンジCD「百恵回帰」シリーズ3部作の解説まで網羅


◆萩田光雄氏と金塚晴子さんとの懇談が実現!

   百恵作品の核となるアレンジャー萩田光雄氏、金塚晴子さん(元CBS・ソニー・百恵担当ディレクタ―)と川瀬さんとの懇談を載録。

 
 
 ◆ 「著者インタビュー」 (学研・広報ブログより転載)


山口百恵さんの音楽について、「プレイバック制作ディレクター回想記 音楽「山口百恵」全軌跡」の著者川瀬泰雄さんに、
いろいろとお聞きしました。

【川瀬泰雄プロフィール】
東京音楽出版(現ホリプロ)入社後、山口百恵の引退までプロデュース。そのほか井上陽水、浜田省吾等のプロデュースも担当、
現在まで約1600曲をプロデュース。

 
 第1回 山口百恵の音楽とは?


山口百恵さんと初めてお会いしたのはデビューした頃ですか?
 
:『スター誕生!』でホリプロの所属が決まった後、百恵を連れた担当マネージャーがホリプロの社内にいたスタッフに挨拶を
  したときです。多分、百恵は沢山のスタッフの中にいた僕のことは覚えていないと思います。担当ディレクターになったときに
  正式に紹介されました。

担当し始めたのは、どの曲からですか?どんな感じの印象を受けましたか?

:シングル「禁じられた遊び」から担当ディレクターになりました。百恵はまだ14才だったのですが、何事にも真剣に立ち向かって
  いく真面目そうな子という印象は、その時から受けていました。

正直なところ、あれほどの国民的スターになると思っていましたか?

:想像もしていませんでした。デビューしたての井上陽水氏を自分が担当していた時も、彼のアパートの一室で、この後どうなって
  いくんだろうね?と本人と話し合ったくらいです。デビュー直後のタレントに国民的スターなんていう言葉は、仮に連想ゲームでも
  出てこないと思います(笑)。

すごい歌手になりそうだ、とか、レコーディングのときに感じたエピソードはありますか?

:シングル「ささやかな欲望」でひょっとしたら上手い歌手になるという予感が生まれ、アルバム「17才のテーマ」で阿木燿子さんと
  宇崎竜童氏の曲を歌ったときに、歌手・百恵という人格が出来上がったと思います。

「歌手・山口百恵という人格」って、どういうことですか?ファンにとっても気になるところだと思います。

:他のアイドル歌手やタレントと違う、後々、皆さんの印象にある山口百恵さんという個性が作られはじめたということです。

引退から30年たって、やっと本書が出ましたが、ファンの方に、歌手・山口百恵の魅力や、ほかの歌手にはないところ
  などを教えてもらえますか?

:本を読んで貰えれば、良くわかっていただけると思いますが、前述の「ささやかな欲望」の頃からは、テレビや映画での演技、
  読書や海外のアーティストの音楽などから色々なことを吸収し、レコードを1枚出すごとに上手くなっていきました。それは、
  テクニックだけが上手くなっていったということではなく、自然な形で百恵自身の存在感がどんどん大きくなっていき、僕ら
  スタッフでも気圧(けお)される−気分的に圧倒される−ようなところが、他の歌手にはあまり感じなかったところだと思います。

編集部:川瀬さん、ありがとうございます。「花の中三トリオ」の中ではそれほど目立たないような印象だった山口百恵さんが、
      徐々に徐々に歌手として成長していく姿を本の中で描かれています。時代の象徴でもあり、今もなお輝き続ける
      山口百恵さんの音楽は実に奥深いものがあります。

  

  第2回 当時のデモテープについて

山口百恵さんの楽曲制作を、デビュー直後から引退まで担当した著者の川瀬泰雄さん。特に力を入れたのは、楽曲や詞を書く
新しい作家の開拓だったそうです。そのアーティストの方々によって、「横須賀ストーリー」「秋桜(コスモス)」など、たくさんの
名曲が誕生していきました。
当時は、作曲をお願いした方々から曲が出来上がってくると、歌を録音したデモテープが、ディレクターの川瀬さんの元に届け
られていました。曲の原点であるこのデモテープは、サウンドアレンジが一切されていないまっさらな状態です。
本書を書くにあたっては、このデモテープが大変貴重な資料となりました。

作曲をされた方による当時のデモテープが、御自宅から数多く出てきたそうですが?

:これはすごかったですね。百恵さん用に宇崎竜童氏の作ったほとんどの曲のデモテープ、谷村新司氏、さだまさし氏、
  浜田省吾氏、井上陽水氏、ジョニー大倉氏などのカセット・テープがあちこちから出てきました。

全部でどれくらいあったのですか?

:カセット1本に数曲入っているのもあったので、百恵さん用だけでも曲数にして80曲くらいはありました。ほかのアーティスト用の
  宇崎氏のデモテープや浜田省吾氏のソロ・デビュー用のデモテープなどを合わせると全部で200曲くらいはあったと思います。

宇崎さんのデモテープで、印象に残ったものはどんな曲でしょう?

:印象に残ったものは、アルバム『17才のテーマ』用として宇崎氏から最初にいただいた「横須賀ストーリー」のデモテープです。
  最終的な形になる前の弾き語りのテープを聴くと、もともとのイントロはセブンスのコードで盛り上げていき歌に入るという形の
  曲だったのだなァと懐かしく思います。

浜田省吾さんのデモテープは、ご本人が歌った弾き語りですか?

:もちろん本人の弾き語りです。浜田省吾氏のデモテープは別の歌詞がついていたり、メロディの印象的な部分だけ乗りのいい
  歌詞がついていたりしていました。

谷村新司さんのデモテープはどうでしたか?

:曲名をあげることはできませんが、そのデモテープで戴いた曲の後ろに、その曲が出来上がるまでの微妙にメロディの違ったものを、
  谷村氏が何回も歌い直している音が消し忘れてそのまま残されていました。まるで曲が出来上がるまでのドキュメンタリーを見ている
  ような気がしたのを覚えています。

それらの貴重なデモテープをあらためて今聴くことで、どういうことが思い出されましたか?

:作曲家が曲を作られた時から30年以上経ったとは思えない生々しさが、テープから聴こえてきました。そしてレコーディングされた時の
  萩田光雄氏を筆頭としたアレンジャーの苦労や素晴らしいアイデアや才能を数多く発見できました。

 
編集部:名だたるアーティストの方々による当時のデモテープは、日本歌謡史の中の貴重な財産といえるでしょう。
      生々しい当時の記録、デモテープについてのお話はまだまだ続きます。
 

 第3回 当時のデモテープについて・続編 

前回の川瀬さんのお話にあった新しい作曲家・作詞家の開拓は、単に名曲が生まれたばかりではなく、宇崎竜童さん、谷村新司さん、
浜田省吾さんなど、時代をリードするアーティストの方々によってアイドル山口百恵さんの音楽が、歌謡曲の枠を超え、その音楽性が
どんどん広がり高まっていくきっかけにもなったのです。本書の中でも、アーティストの方々による様々な音楽を歌っていくことで、歌手
として驚くほどの成長をしていったことが書かれています。
当時のデモテープについての続編を始めましょう。

デモテープは、百恵さん以外の曲も発見されたそうですね。

:百恵さんの曲以外にも、たとえば荒木由美子さん用に阿木燿子さんと宇崎竜童氏が書いた曲や、浜田省吾氏が自分のソロ・
  デビュー用に作った曲など僕にとってのお宝音源カセットが段ボール箱2杯分くらいも出てきました。

浜田さんのものは、ソロ・デビュー前のAIDO(愛奴)というバンドのデモテープですか?

:AIDO(愛奴)のものではなく、浜田省吾氏のソロ・デビュー直前の曲が数十曲も録音されたデモテープです。ほとんどの曲の
  メロディは、基本的にはレコーディングされたものと同じなのですが、歌詞はかなり変わっているものが多かったと思います。

今回、百恵さんの300近くある全曲についてそれぞれ書くにあたっては、大変だったと思います。どのようにして、
  時を思い起こしたのですか?

:まず全楽曲をデビュー曲から順番に聴きました。中にはほとんど忘れていた曲もあるので、レコーディングされた時の順番で音を
  聴いていきました。最初にリズム・セクションのドラムス、ベース、キーボード、ギターなどを注意深く、どんな演奏をしているかを
  把握できるまで何度も聴きました。
  次に、そのリズム・セクションの上に後からレコーディングされたブラスセクションやストリングス、間奏の楽器など全て、
  一つの楽器も聞き逃すことがないように何度も何度も聴きなおし、最後に百恵の歌とコーラスを聴く作業を、1曲ごとに細かくやって
  いきました。
  今まで何げなく曲を聴いていたために気づかなかったのですが、その時に、こんなこともやっていたのかとあらためて気がついたこと
  かなりありました。

作詞家の方による直筆の原稿なども保管されていたそうですね。

:収録されたどおりの完成された原稿ではなかったため、今回、本に載せられなかった阿木燿子さんや谷村新司氏、松本隆氏の
  原稿などはもちろん、百恵さん(横須賀恵)が書いた原稿も、たくさん出てきました。
  阿木燿子さんによる「プレイバック」の別バージョンや「美サイレント」、「花筆文字」、「愛の嵐」などの手直しされる前のたくさんの
  詞に加え、レコードに収録されなかった「百恵飛行」など、ここに書ききれないほど数多くありました。谷村新司氏の「サンタマリアの
  熱い風」や松本隆氏の「愛染橋」や百恵本人の直筆の「一恵」の原稿などもありました。

あらためて、全曲を聴いた感想をお願いします。

:一言では言えませんが、最初から引退までの作品を順番に聴くと、本にも書いたように、「ささやかな欲望」で前作から急激に上手く
  なったことや「曼珠沙華」での信じられないほどの迫力のある歌の上手さ、横須賀恵の名前で百恵さん本人が書いた詞が初めて
  書いたときから完成されていたことなど、あらためて驚かされました。

ほかには何か発見はありましたか?

:レコーディング当時聴いた印象と、今聴いた印象で評価が違った曲が何曲かありました。
  石原信一氏の詞で佐瀬寿一氏の作曲の「甘い裏切り」や、阿木燿子さん、宇崎竜童氏の「1 2/3」、「シニカル」など、当時の印象より
  はるかに良い曲だと思ったものがたくさんありました。

編集部:シングル・リリースされた曲以外にも、アルバムに収められた全曲についても、本書でていねいに解説をしてもらっています。
      本書を読みながら、百恵さんの曲を聴くときっと新たな発見がたくさんあると思います。時代を超えて愛される百恵さんの歌と
      音楽の秘密についてもわかるでしょう。

 
 第4回 音楽プロデューサーの仕事について 

入社したての頃にご担当されていたのは、どういうアーティストの方々でしたか?

:和田アキ子さんのディレクターを担当し、その後、鈴木ヒロミツ氏がボーカルである硬派のロックバンドTHE MOPS、そしてホリプロに
  たくさん所属していたグループ・サウンズを担当しました。また単発企画では、チャールズ・ブロンソンのCMで有名になったジェリー・
  ウォーレスの「マンダム・男の世界」などがあります。

和田アキ子さんやTHE MOPSでは、音楽制作で意識されていたこと、さらに大好きなビートルズからの影響などもあれば
  お聞かせください。

:和田アキ子さんの場合は女性のR&B歌手という日本では珍しい存在でしたので、リズムを強調する曲作りやアレンジを意識することが
  多かった記憶があります。THE MOPSの場合は、自分が経験してきたバンドの方向性とかなり近いものがあったので、自分がやりたい
  こととTHE MOPSのやっていきたい方向がピッタリと合っていました。もちろん、当時のミュージシャンでビートルズの影響を受けていない
  ミュージシャンはいなかったと思います。アレンジャーの星勝氏の初めてのアレンジもビートルズの「イエスタデイ」から影響を受けて、
  THE MOPSの曲を弦楽4重奏でレコーディングするというところからスタートしました。僕もこのアレンジをするところから立ち会っていました。
  星勝氏がどんどんアレンジャーとして偉大になっていく過程も一緒に経験することができました。

井上陽水さんのデビューもご担当されたそうですが、最初の出会いは?

:当時のホリプロの堀社長から九州のRKB毎日放送の深夜番組でリクエストのNO.1になったという新人のアンドレ・カンドレという
  アーティストが上京するので、話をしてくれということでした。それが、後の井上陽水氏です。デモテープを聴いてメロディの良さと美声に
  惚れ込み、担当を志願しました。ホリプロでのフォークやロックの新人アーティストはほとんど僕が担当しました。前述のアレンジャーの
  星勝氏が、井上陽水としての最初のアルバムから担当し、「二色の独楽」では、ロスアンゼルスでアメリカ人のミュージシャンやスタッフ
  から絶賛されたので、とても嬉しかったことを思い出します。

アンドレ・カンドレの名前でデビューした井上陽水さんを担当していた頃、面白い出来事があったそうですね。

:アンドレ・カンドレのデビュー曲の「カンドレ・マンドレ」のシングルのジャケット写真が、陽水氏のサングラスをかけた顔と外した顔の2つが
  使われていたために、アンドレとカンドレというデュオ(2人組)だと思っていた人も多く、マネージャーの僕をアンドレの相方のカンドレだと思い、
  ステージに僕と陽水氏のために椅子とマイクが2台セットされていたり、放送局のブースではディレクターが、陽水氏と一緒に僕がスタジオの
  マイクの前に坐るのを待っていたりすることが、何回もありました。

:アンドレ・カンドレから「井上陽水」に、名前を変えるきっかけは何だったのでしょうか?

:アンドレ・カンドレの曲は、プロテスト・ソング全盛の当時のフォーク界では受け入れられず、2年間ほどまったく仕事になりませんでした。
  レコードも作れずホリプロからも解雇通告が出そうな時、会社の同僚からポリドール・レコードの多賀英典氏を紹介されました。
  そして「井上陽水」と名前を変えて再デビューすることになり、僕がマネージャーとディレクターを兼任するという期間が2年間ほど続きました。
  その2年で日本全国を2周くらいするほど、各地の様々なフォーク・コンサートを経験しました。

井上陽水さんがブレイクするきっかけは?

:1枚目のアルバム「断絶」をリリースして2〜3か月が経った頃、名古屋の東海ラジオの深夜番組に出演した時、パーソナリティだった
  森本レオ氏が井上陽水氏を気に入り、急遽予定を変更して2時間の番組でアルバム「断絶」の全曲をかけるという、大胆な提案を
  プロデューサーの塩瀬氏にしてくれました。そして異例の新人アーティストのアルバムだけの2時間番組が実現し、それをキッカケに
  井上陽水氏は名古屋から火がつき始めました。その後、スケジュールがきつくなり、ディレクターとマネージャーの兼任が無理になって
  きたので、マネージャーは他の人に任せて、自分はディレクターの専任になりました。

そしてその後、アイドルだった山口百恵さんを担当することになったわけですね。

:時間に余裕が出来た時期で、前から気になっていた山口百恵さんの担当ディレクターが退社するという話を聞き、山口百恵さんの
  ディレクターに志願しました。ロックやフォークにプラスしてアイドル・ポップスを作るというスタンスは、僕にとって非常にバランスが
  いいものでした。THE MOPSや井上陽水氏で出来ないことを山口百恵さんに取り入れたり、その逆だったりと思いつくことが実現して
  いきました。

:THE MOPSや井上陽水さんで出来ないことを、山口百恵さんの音楽に取り入れたこととは何ですか?

:具体的な曲名は思い出せません。微妙なニュアンスだったりするので、簡単に例を挙げるのは難しいのですが、たとえばバンドで
   なくては再現できない、間奏でギターのアドリブが延々と続くという当時のプログレッシブ・ロックのようなサウンドの場合だと、
   百恵さんの曲としては何のための間奏なのか理解しにくいので、それはTHE MOPSへのアイデアにしたり、また、陽水氏の曲としては
   可愛らしくなりすぎるテーマは百恵さんに使う、というようなことです。
   ただ、百恵さんがアーティストとして大きくなった時にはTHE MOPSは解散していたり、井上陽水氏は別の会社を作っていたりと
  僕とは離れていたので、面白いアイデアは全部百恵さんに注ぎ込んでいきました。

編集部:色々なアーティストのプロデュースは、百恵さんの音楽制作にも生かされてきました。川瀬さんが今までにプロデュースした曲は、
      なんと1600曲ほどになるそうです。 そんな川瀬さんの情報は、ご自身のホームページで紹介されているので、ぜひチェックして
      みてください。
      http://www.thebeatlemania.com/chronicle.html

 
 第5回 「山口百恵」という音楽世界 


山口百恵さんの音楽は、独特の世界観がある歌といろいろなジャンルのエッセンスが散りばめられた高い音楽性が魅力となっています。
その音楽世界について、川瀬さんにお聞きしました。

アイドルとしてデビューした山口百恵さんに、「横須賀ストーリー」など従来の歌謡曲とは違うロック色のある曲を作ったのは、
  井上陽水さんや浜田省吾さんなどのお仕事をされていたことと関係はありますか?


:特別、関係はないと思います。それほど意識はしていませんでしたが、僕自身がエルビス・プレスリーから始まって
  ビートルズやレッド・ツェッペリンやヴァン・ヘイレンなど、ロックンロールがずっと好きだったことのほうが影響していると思います。

従来の歌謡曲路線ではなく、新しい音楽作りを意識された動機などはありますか?

:ディレクターという仕事をやり始めた当初から、もともと僕自身の中には、大好きなロックの要素がありました。
  当然、歌謡曲といわれているジャンルにおいても同じ感覚で聞いていましたので、どんな曲でも…仮にスローな曲調でも、
  ルーツにロックのフィーリングが流れていないと満足ができませんでした。
  これはアップテンポの曲に限ったことではなく、演歌のような曲でも、たとえば石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」や「天城越え」、
  坂本冬美さんの「夜桜お七」などには、ロックのテイストを感じるのです。

山口百恵さんの音楽は、ロック以外にもラテンやフラメンコ、ジャズ、カントリー…様々なジャンルが入っていますが、
  すごく自然に取り入れられていると思います。

:もちろん最初の頃はここまでだったら、音楽的に百恵さんがついて来れるだろうという、多少、余裕を持った作り方だったのですが、
  気がついたらこれでは、逆にこちらが追い越されてしまいそうだ、というところまで、本人の成長には著しいものがありました。
  ビートルズがあらゆるジャンルの要素を取り入れて大きく成長していき、それでもあくまでもビートルズだったように、百恵さんも
  いろいろなジャンルの音楽を取り入れて「山口百恵」という世界を変えずに成長していけると思い、少しずつ様々なジャンルを
  取り入れていきました。

いろいろな作家の方に曲を依頼したのも、音楽の幅を広げる狙いもあったのですか?
  プロデュースで意図されたことは?

:同じ作家さんに作って戴くのも、アーティストのカラーを決める時には大事なことだと思いますが、ビートルズは色々なアーティストの
  曲をカバーしてレコーディングしたり、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソンという、持ち味の違う作家がそれぞれの
  個性を生かして作った曲で成長し、音楽界をリードしてきました。
  まして百恵さんの時代では、一般のリスナーがすでに、そのビートルズなどの洗礼を受けてきた人たちなので、僕たちも、できるところ
  までやってみようという結果、『曼珠沙華』のような独特の「山口百恵の世界」が出来上がりました。
  どんなジャンルの曲を歌うかというよりも「山口百恵」というジャンルを作っていきたいと思っていました。

編集部:山口百恵さんの深い音楽には、貪欲に良質な音楽を作りたいという川瀬さんの熱い思いが込められています。

 
 第6回 「山口百恵」という音楽世界 


山口百恵さんの音楽は、独特の世界観がある歌といろいろなジャンルのエッセンスが散りばめられた高い音楽性が魅力となっています。
その音楽世界について、川瀬さんにお聞きしました。

独特な「山口百恵の世界」を感じてもらうのに、ファンの方にぜひ聞いてもらいたい曲を、いくつか紹介してください。

:『プレイバックPart2』や『秋桜』など、ほとんどのシングル曲は、山口百恵さんの個性的な世界がいろいろと出ていると思います。
  アルバム収録の曲もあげるときりがないのですが、あまり知られていない曲という意味では、『イントロダクション・春』や『夜へ…』、
  『アポカリプス・ラブ』、『あなたへの子守唄』などがおすすめです。

さまざまな曲を見事に歌う百恵さんは、特別なレッスンを受けていたのでしょうか?あれだけ幅広い曲に対応できるのは、
  超人的な印象を受けます。

:突然レベルを引き上げていったわけではなく、直近のアルバムやシングル曲の出来上がりを見て、それよりも少しレベルを上げると
  いう作り方をしていきました。ほとんどの場合、百恵さんの作り上げる世界がこちらの期待以上のものだったので、だんだん百恵さん
  との競い合いのようになっていき、気がついた時にはかなりのレベルになっていたんだと思います。

百恵さんの引退から約10年後に、完全なニュー・アレンジによるCDアルバム『百恵回帰シリーズ』3部作を手がけられました。
  数々の名曲に、改めて向かい合って新たな発見はありましたか?

:これに関しては「山口百恵の個性」の強さや存在感の大きさを感じました。一度リリースされている曲で、しかもその当時にある程度の
  評価をされた形で出来上がっていた曲を、新たに歌いなおすのではなくすでに百恵さんの歌った音源を使って、新しく作るというのは、
  かなり難しいものがありました。新鮮な印象を作り出すことが出来なければこれを作る意味もないし、かといって新しいアレンジでテンポ
  を変えると元の歌には合わなくなってしまいました。

それはどのように解決したのでしょう?

:そのために、テンポを変えないでイメージの異なるアレンジにするという、難しい作業をアレンジャーの萩田氏と悩みながら作り
  上げました。それなりにガラッと変えたアレンジに出来上がり、百恵さんの歌を入れました。その結果、かなり変えたつもりのアレンジも
  百恵さんがそのアレンジで元から歌っているように聴こえるほど、百恵さんの歌が中心に居座っていました。結局どんなアレンジをしても、
  百恵さんの歌に全部持っていかれてしまいました。

百恵さんの引退は、アルバム『This is my trial』、シングル『一恵』で最終章を迎えます。
  百恵さんの音楽作りで、さらにやりたかったことはありますか?

:たぶん、そのままレコーディングを続けていれば、自然に次々にやりたいことが思いついたのだと思いますが、今思い出して考えて
  みるとまったくイメージが出てきません。その時々で全力投球していた結果だと思います。もちろんそれまでやってきたいろいろな
  音楽性をそれなりに上達させていったとは思いますが…。

ラスト・レコーディングに対しての思いや感慨は、どのようなものでしたか?

:ラスト・レコーディングに関しては、百恵さんとの最後のスタジオで歌のレコーディングが終わっても僕たちにはその作品を仕上げる
  ために、たくさんの作業が残っていたという理由に加え、いつもと違って、スタジオにはたくさんの取材陣やスタッフも多く、最後の
  スタジオという時点で、それほど思い出に残るような強い感情は持っていなかったような気がします。
  その後、すべての作業が終わり、山口百恵さんの最後のレコード用のマスター・テープが出来上がった時に突然、すべてが無事に
  終わったという安心感と、喪失感のようなものが一気に出てきた記憶があります。

本書では、デビュー曲の『としごろ』から引退までの全記録が書かれてありますが、アピールしたいところを最後にお聞かせ
  ください。

:デビューから引退までが7〜8年間という短期間であり、なおかつ、大成功というアーティストは、山口百恵さん以外にはいないと
  思います。これだけの成功を収めたアーティストの最初から最後までをずっと見てこられたという奇跡の体験を、どうしても記録として
  残しておきたかったということです。成功したアーティストの場合、ほとんどは数人のディレクターが関ったり、また移籍したりで、
  最後まで一人の人間が担当できることはほとんどありません。ビートルズも山口百恵さんと同じくらいの活動期間で大成功したアーティ
  ストですが、デビューから担当したプロデューサーのジョージ・マーティンも、途中、離れてしまう時期がありました。

山口百恵さんと共に歩んだ川瀬さんの貴重な体験は、ファンの方々に、ぜひ知ってもらいたいです。

:もうひとつは、音楽作品というものが、歌手はもちろんですが、作詞家と作曲家、編曲家の名前は、出演されたテレビ、または楽譜に、
  曲名と共に表記されることによって、作品に参加したことが明確ですが、プロデューサーやディレクターという仕事は、楽曲制作に最も
  関わり合いが深いのにもかかわらず、ともすれば、忘れられてしまいがちです。エンジニアも同様ですが…。
  40年以上音楽制作をやってきて感じた、楽曲を作るスタッフがもう少し認識されればいいのに、という希望があり、この本を書きました。


編集部:川瀬さん、ありがとうございました。音楽作りには、たくさんの方々の力が結集され、そのおかげで作品が完成することが、
      この本を読むと実感できます。最終回まで皆さん、ありがとうございました!

 
 
 

 ◆ 丸山圭子オフィシャルブログに感想が掲載されました。
 


  当時、山口百恵さんのディレクターを担当されていた川瀬泰雄氏が、
  学研から「プレイバック・制作ディレクター回想記ー音楽『山口百恵』全軌跡」という本を書かれました。

  私は、百恵さんには二曲提供(アルバム「ドラマチック」)していて、その一曲の作詞が、直筆で掲載されました。
  川瀬さん、お気遣いありがとうございます。
  『水鏡』という曲で、作詞作曲をしています。

  川瀬さんの文章では、
  「百恵の歌も丸山さんの曲調の持つ、まったりとした感じをうまく歌っていて心地いい。」
  と書いてあります。
  まったりかぁ…(笑)
  「どうぞこのまま」のイメージですね!
  昔はよく、アンニュイな雰囲気とか言われたから。
  確かにそんな虚ろさが好きでした。

  いろいろなアーティストに曲を書かせていただきましたが、百恵さんは自分らしくさらりとこなして歌っていて、
  私はとても気に入っています。Coolな歌い回しが素敵です!

  昨日、日本アカデミー賞を見ていたら、新人賞に息子さんの三浦貴大さんが受賞してましたね。
  「Railways」という映画の主演だったそうです。
  目元が百恵さんによく似た三浦友和さんゆずりの凛々しい青年でした。

  新しい才能が開花していく中、私達が歩いてきた軌跡は確実に形になって残っていきますね。
  嬉しい限りです。

  丁寧に紡いできた昭和の歌作りは、今でも十分誇れると思います。
  山口百恵さんという、一世風靡した時代を代表する大スターに、私の歌を歌っていただいた事は、
  私の人生にも自信を与えて下さいました。

  本当に価値ある経験は、時を越えてこそ、重みを増していくので、今改めて感謝の気持ちでいっぱいです。  

  丸山圭子のそぞろ喋歩き(オフィシャルブログ) 2011.2.20より転記