懐かしいスポーツ新聞
1989年12月24日 第34回有馬記念 オグリキャップ5着。

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◆米遠征プラン撤回。関係者もガックリ。疲れがあったのかな。。(記事:サンスポ栗原淳一氏)
残り100m大歓声と悲鳴が交錯する。 「どうした、オグリ!」 南井は懸命にオグリキャップをシッタ激励する。しかし、いつもとちがう。負けても鋭く脚を伸ばしてきたいつもの怪物オグリキャップが、この日はゴールを100m前にしてバテはじめているのだ。  直線入り口で交わされたスーパークリークを差し返す力はもう残っていない。そればかりか、イナリワンにも、サクラホクトオーにも、ランニングフリーまでにも交わされ5着に沈んでしまった。公営・笠松時代を含め、いつもファンにお金を運んできた(3着以内)馬が27戦目で初めて馬券の対象外に敗れた瞬間でもあった。
敗因は? すぐ浮かぶのは強行ローテーションと世界レコードで決着がついたジャパンC激走の目に見えない反動。そしてハイペースの逃げを打ったダイナカーペンターを折り合いを欠きながら深追いしたこと。
レース後、南井は意外に淡々としていた。

ある程度、先に行こうと思っていたし、最内枠に入ったことでますますその気になった。折り合いは自分ではついたと思っていたし、4コーナーでは後ろを振り返ったくらい手応えに余裕があったんだ。直線に入ってすぐ、スーパークリークに交わされたときも、馬に差し返そうという意欲が感じられた。ところが、坂上では一杯になってしまって。。。。。」  ・・・(略)・・・
負けたのは事実だが、今年もっともファンに感動を与えたサラブレットであることには変わりは無い。オグリ、来年も頑張れ。

◆祐ちゃんの目 「オグリの5着は南井の騎乗ミスだ」 (野平祐二調教師)
強い馬が勝つのも競馬なら、勝った馬が強いとみるのも競馬である。結論から先に言えば、私はオグリキャップの5着は南井騎手の騎乗ミスだと思う。 なぜハイペースであれほど2番手で深追いしたか。ダイナカーペンターが逃げて最初の1000mの通過が1分ちょうどくらい。小回りの中山・内回りを使う2500mではきついペースである。それをスタート後、手綱をしごいてまで2番手につける必要があったのか。16頭の多頭数の1番枠で南井騎手は包まれる懸念を持ったからかもしれない。昨年、タマモクロスで後でを踏み、2着に敗れたことを念頭に置いての策だったともいえるだろう。 だが、結果論かもしれないが、南井騎手の過信だったと思う。世界レコードの決着のジャパンCで積極的なレースをして2着に入り、どんなレースでもできると自信を持ったのだろう。しかし、この日はダッシュを利かせ過ぎたことで、折り合いを欠くはめにもなった。もっとゆったり構えて乗ってほしかった。仮にそうした乗り方で負けたとしても、オグリキャップがこれまで見せてきたような強い負け方だったはずである。私はオグリキャップの敗因は体調面には求めない。 ・・・・・・(略)

◆雨の中山競馬場で夢心地 (作家:高橋源一郎氏)
西船橋に着いたら雨が降り始めてた。肌寒く、冷たい有馬記念の日になるなとぼくは思った。いつもなら、途中のレースは心ここにあらずで、有馬記念がはじまるのをジリジリしながら待つのだが、今日はなぜか、オグリキャップのこともスーパークリークのことも頭に浮かばなかった。今年はいろいろなことがあった。天安門事件やベルリンの壁、そんなことばかりを考えていた。今日も銃撃が続いているルーマニアの人たちは凍えるようなクリスマスを迎えているのだろうか。入場するオグリキャップに津波のような歓声が湧き起こった。 群衆の期待の叫びは、どの国のどんな状況でも同じに聞こえるなと思った時、やっとぼくは我に帰ったのだった。
そこだけ明るく浮かびあがったゴール付近の観衆が一斉にカサを閉じ、雨に濡れながら待っていた観客の前で89年グランプリのスタートが切られた。そこから先の記憶がぼくにははっきりしない。 いまビデオで見たのは確かにほんの数分前にこの目で見た今年のグランプリだったのだろうか? GI 2勝のイナリワンが勝ち、スーパークリーク、ホクトオー、ランニングフリー、ひっかかったのか、強行軍の故か敗れたオグリキャップは5着。 強い馬が上位を占め、レコードタイムで決着がついたレース。予想の当たり外れはともかく競馬ファンとして慶んでいい結果のはずなのに、ぼくはまだ夢から醒めてないような気がしている。
それはオグリキャップが敗れ去ったせいだろうか。 いや、ぼくたちはそのことを半ば予想していたような気さえする。 かれも極めて秀れた能力を持つ、でも1頭のサラブレットにすぎなかった。 それでいいではないか。
かれを含め、16頭の駿馬たちの健闘を誉めたたえよう。 そう思いながら、ぼくはまた夢心地に戻ってゆく。
競馬を見ることはどこか夢を見ることによく似ているのだ。