●オンコル私史外伝
No. 03 オンコルの祟り(2) それから毎年のように仲間が死んでいった

【12/07/02作成】

入社したときから直属上司で敬愛する後藤武士鳴門研究所長は1996年4月28日に胃癌にて亡くなられた。その年の6月25日には古参社員で退職直前であった製剤の米田さんが(会社まで徒歩3分の自宅風呂場で)亡くなり,翌年には,定年退職2か月後に元製剤の山本さんが(会社まで徒歩10分の自宅で)亡くなった。1999年8月15日には安全性研究室のKさんが水死した。

同年12月3日には,私が入社したときの上司(技術部長)であった播磨六郎大塚食品会長が亡くなり,2000年4月17日には大塚グループを築きあげた大塚正士社主が亡くなった。社主はオンコル開発前に梅津憲治氏に会い,宜しく頼むと現金入り封筒を渡したと聞いている。

一般に農薬会社の研究部門は1月から3月が最も忙しい。公的な殺虫活性等の評価や残留試験用の試料調製を委託するため農業試験場を廻り,その試験用農薬の合成や製剤に忙殺される。4月中旬を過ぎると,ようやく安心するがそれが良くない。

2001年4月24日私と同期入社の製剤のGさんが病死した。翌年2002年4月30日には今田鳴門研究所長が東京駅構内にて蜘蛛膜下出血にて急死し,その翌年2003年4月16日には虫屋(殺虫剤担当)の村井さんが病死した。

当時,鳴門研究所に所属していた社員は80人ほどである。1996年4月からの7年間にその6人が在職中(退職直後を含めれば7人)に亡くなり,その4人が4月の後半に亡くなったことになる。

そして,2005年ついに私が病に倒れ緊急入院することになった。 

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