●オンコル私史外伝
No. 02 オンコルの祟り(1) その始まり

【12/07/02作成】

オンコルの開発に携わった者は不幸に見舞われる。これは大塚化学(当時は大塚化学薬品)の研究部門にいた古参の社員なら必ず知っている「オンコルの祟り」という伝説である。

オンコルの開発は開発部の中村課長(当時,のち部長)がカリフォルニア大学リバーサイド校(UCR)のT・ロイ・フクト教授の研究室のポスドクであった梅津憲治氏が職を探していることを知り,その採用を決めたことに始まる。その交渉には大塚化学シカゴ事務所(当時)の所長であったJ・S・タナカ氏があたり,梅津氏の採用とフクト研究室で合成されていた特許開示前の化合物の情報を得て,UCRの特許化合物であるカーバメート系殺虫剤のアミノスルフィニル誘導体の開発を大塚化学が行うことが決まった。

中村氏とJ・S・タナカ氏は共にオンコル開発初期の功労者であるが,オンコルの開発が本格的に始まった頃,諸事情にて退職された。

余談だがJ・S・タナカ氏は英語が下手であった。というより,私のように語学の才能が全くなく,ネイティブでもない者が到達すべき目標といえるような英語を話した。特に,難しい発音の言葉などを平易に表現する能力は天才的であった。日本語でたとえるなら,「文房具売り場はどこか?」を「ノートや鉛筆などはどこで売っている?」に言い換えるようなことだろうか。その才能を活かし,タナカ氏は退職後,NHKテレビ英語会話で,英語の苦手な米国駐在員タローさんとして登場していた。

中村氏とJ・S・タナカ氏のその後の消息は知らない。フクト先生は退官後の1995年に心臓発作にて72歳の若さで急死され,その翌年の1996年4月28日には入社したときから直属上司であった後藤武士鳴門研究所長が亡くなった。それから,「オンコルの祟り」が本格的に始まることになる。

 

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