●オンコル私史 概史

【10/09/26作成】

私は某国立大学の理学部化学科の修士課程を修了したのち,1977年4月に大塚化学(株)(当時は大塚化学薬品(株);その後,紆余曲折を経て現在の大塚化学(株);詳細は外伝に記載)技術部(入社当時研究部門はなかった)に入社した。ちなみに,技術部長は播磨六郎氏(のち大塚食品会長,そして,在職中に死去)であった。私の命ぜられた仕事は農薬合成であった。それまでは,直属上司であった後藤武士氏(のち鳴門研究所長,そして,在職中に病死)が一人で農薬合成を行っていたが,私と,もう一人の新入社員の3名で本格的に農薬合成が始まった。与えられた二研分室と称する実験室は直前までウサギ小屋で,実験台を買い,実験器具を揃えることから始めた。

当初,合成を目指していたのはセンコールのような非選択的土壌処理型除草剤であった。上述のような状況にもかかわらず,当初から商品名は決まっていた。大塚化学で販売するセンコールと同様の活性を有する除草剤だから「オンコール」である。

その後,UCR(University of California, Riverside)のT. Roy Fukuto教授のもとでポスドクとして働いていた梅津憲治氏(のち農薬学会会長)が入社(帰国は1982年)して,カーバメート系殺虫剤誘導体の研究が始まった。その過程で,私が毒性の低減を意図して分子設計し,1980年5月24日に合成したカルボフランのアミノスルフェニル誘導体(社内番号OC-10274)に優れた殺虫活性が認められたため,開発候補化合物となり特許が取得(特公昭61-3340)された。この特許はオンコル(社長の指示で欧米人の発音をもとにオンコールから変更)の最重要特許である物質特許とされている。この特許の発明者のトップネームが私の実名である。

その後,私は1980年8月からFukuto教授の研究室に留学し,カーバメート系殺虫剤の別の種類の誘導体合成に携わり,その米国特許も出願した。しかし,この留学中にオンコルの開発が決定したため,その14C-標識化合物を合成し,物化性状試験などを開始した。この留学中にラット,マウスを用いる試験や14C-標識化合物を用いる試験の基礎知識を得ることができたのは大きな収穫であった。なお,Fukuto教授については城島さんの「アグロサイエンス通信」に詳しく書かれている。城島さんは1980年3月に帰国しており,私と同時に研究室にいたことはない。

1981年9月に帰国するとオンコル開発の状況に大きな変化があった。私の合成したα-アミノ酸誘導体であるOC-10274には製造上の問題があり,より合成の容易なβ-アミノ酸誘導体であるOC-11874に開発化合物を変更するか否かの議論がなされていた。結局,OC-11874をオンコルとして開発することに決定された。OC-11874を最初に合成したのは入社時から最期まで上司であった後藤武士氏である。ただ,1981年にはOC-10274をOK-174のコード名で公的な殺虫活性試験に供しており,化合物を変更した段階でOK-174を別のコード名に変更できなかったのは残念である。

その後,私は代謝分析研究室を創ることになり,必要な放射性同位元素使用施設を建設し,第一種放射線取扱主任者の資格を取得して,代謝や環境化学関連の種々の農薬登録に必要な試験を始めた。作物残留分析も統括した。

1994年には,I氏(のち鳴門研究所長,そして,在職中に急死)の跡を襲って安全性研究室長となり,毒性試験全般に携わるとともに,オンコルの海外展開にかかる業務も行った。農薬登録,再登録の際には「農薬抄録」(全ての試験報告書の概要を記載)を作成する必要があるが,在任中,表紙に記載される責任者は私であった。

私が農薬に関し広い分野の知識を有しているのは,オンコル開発の種々の段階に関わったためであり,多くの同僚から知識を得たおかげである。

帰国後の記載はかなり省略しているが,詳しくは私史に記載する。

 

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